第19番【立冬】

第19番【立冬】

二十四節気 第19番【立冬】(りっとう)
 

冬のはじまり。

暦の上では冬となりました。日中の陽射しも弱まり空気が冷えて冬の気配を感じる頃。木枯らし1号や初雪の便りが徐々に届き始め、次第に初霜が降り、足早に冬の佇まいへと変わっていきます。


それでは、立冬の時期の行事や過ごし方をご紹介いいたします。
 

 

【立冬の行事・習わし】


❖1.立冬-りっとう-❖

●立冬の風習●
●亥の子の日の由来・歴史●
●立冬(亥の子)の行事食●
●炉開(ろびらき)●



❖2.神在月 -かみありづき- ❖

●なぜ神が集まるの?●
●神在祭-かみありさい-●
●「神在祭」に行かない神様もいる●


❖3.七五三❖

●七五三の由来・歴史●
●「七五三」の3つの儀式はどんな儀式?●


❖4.立冬の時期の七十二候❖

第五十五候「山茶始開(つばきはじめてひらく)」
第五十六候「地始凍 (ちはじめてこおる)」
第五十七候「金盞香 (きんせんかさく)」




 


 

 

 

 

 

❖1.立冬 -りっとうー ❖ 


【立冬】をはじめ、四季が始まる日をそれぞれ【立春(りっしゅん)・立夏(りっか)・立秋(りっしゅう)・立冬(りっとう)】と言い、それらをまとめて「四立(しりゅう)」と言います。

季節がはじまる前日には、(例えば、夏と秋を分ける)季節を分ける【節分(せつぶん)】があります。
節分といえば、立春(りっしゅん)の前日にあたる「節分」が有名ですが、四季それぞれに節目として、1年に4回「節分」があります。

 



古来より「季節の変わり目には、疫鬼(えきき)が民に病や災禍をもたらし、邪気(鬼)が生じる」と考えられ、2月の【節分】で行われている豆まきや、邪気払いに基づく祭事など、年中行事は、季節の変わり目には必ず行われます。

そんな中でも、赤ちゃんや子どもは季節の節目に晒されやすいことから、季節の節目に併せて取り入れられた行事は多くあります。
春分から立春の間には、女児を守り・成長を祝う【桃の節句】
立夏には男児を守り・成長を祝う【端午の節句】

無事に季節を迎えられることは、非常におめでたいこととされてきました。


その他にも、一年の境界である大晦日は、一年の中で大きな節目として、鬼が出現するとされ(大晦日=丑寅間=東北=鬼の出現する門、鬼門となった)、年末年始には疫鬼や災禍から赤ちゃんや子どもを守るため、男児には【破魔弓】女児には【羽子板】を飾り、守るという風習が残されています。
その【破魔弓】【羽子板】は魔除けとして強いと知られることから、年齢の節目に当たる【七五三】では、魔除けのお守りとして持参する風習もあります。 

 

「四立(しりゅう)」について詳しく見る

 

 

 

 
●立冬の風習●


立冬の頃に「亥の子(いのこ)」の日があります。
亥とは、十二支の亥を指し、旧暦10月にあたり新暦は11月になります。
亥の子の日とは“亥の月の最初の亥の日”に行われる収穫祭をさし、主に西日本で行われている文化になります。
 

 

 

古くから、日本の暦や時間は中国から伝わり、十二支が当てはめられていることが多くあります。「亥の月」は旧暦10月となりますが、「亥」は十二支の12番目なのに、亥の月は12月ではないのはなぜでしょう?

古くは、一年の始まりは「冬至」とされていました。
夜がもっとも長く、太陽が昇る時間が短い「冬至」は死に一番近い日と言われ、すなわち「太陽の始まりの日」として、大きな節目とされてきました。




●<亥の子の日>の由来・歴史●


古代中国の「亥子祝い(いのこ-いわい)」という、無病息災を願う宮廷儀式に由来します。「亥子祝い」では、亥の月・亥の日・亥の刻に穀物の入った餅を食べると病気にならないと信じられていました。
「亥子祝い」が日本に伝わったのは平安時代で宮中行事として、貴族の間に広まります。その後に、民間に伝わった際、(西日本の地域では)稲刈りの時期と重なるため、収穫祭として浸透していきました。田の神様と亥の子神を山にお返しする行事として、お餅をついてお供えします。


「亥」は、動物のイノシシを表し、イノシシが多産であることから子孫繁栄や子どもの成長を願う行事としても祝われます。

 

 

 

 

●亥の子の行事食●


亥の子の日に食べられるお菓子に「亥の子餅」があります。
亥の子餅は穀物の入ったお餅で、薄茶色の色味も伴い、イノシシやイノシシの子どものウリボウをモチーフにした和菓子として、季節の風物詩として親しまれています。


 


「亥の子餅」の歴史は、「亥子祝い」と共に古代中国から伝わり、農村ではその年に収穫した穀物で作られ、収穫祭では神様のお供えとして献上されました。

日本でも、古くは『源氏物語』にも登場し、大豆・小豆・大角豆(ささげ)・ごま・栗・柿・糖(あめ)の7種類の粉を入れてついた餅と書かれています。



亥の子餅は、【亥の月の亥の日、亥の刻】(21時〜23時)に食べると良いとされています。

 

  

 


●炉開(ろびらき)●

亥の日の行事として、炉開があります。

お茶人の間ではこの日、夏の間の風炉(ふろ)を撤し、炉を開きます。11月より翌春5月まで、半年間、炉による茶の湯がおこなわれます。また、その年の春に摘まれた新茶を使いはじめる口切の頃と重なることで、茶の湯の正月とも呼ばれます。
 

 

 

 

  

 

 

 

 
❖2.神在月 -かみありづき- ❖

神無月は旧暦の10月をさし、新暦では10月下旬から12月上旬にあたります。
旧暦10月に全国の神々が出雲にお集まりになるという伝承から、一般的に「神無月」と呼ばれ、その逆に、多くの神が集まる出雲は「神在月」と呼ばれるようになったと言われています。




●なぜ神が集まるの?●
 

旧暦の10月には全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲大社に集まり、いろいろなことを神議(かみはか)りする、「神在祭」が行われます。「神議(かみはかり)」の中で、人の縁にかかわる様々なことについて決められるといい、出雲大社は縁結びの神様としても有名ですが、縁結びもその中のひとつです。
 

 

 

 

●神在祭-かみありさい-● 

「神在祭」は旧暦の10月10日から7日間行われ、新暦では約一か月後の11月10日頃から約7日間をさします。神在祭はいったいどのような祭事なのでしょうか。

 

 



1.「神迎神事・神迎祭(かみむかえしんじ・かみむかえさい)」

全国の神々を迎える「神迎神事・神迎祭(かみむかえしんじ・かみむかえさい)」に始まります。
「神迎神事・神迎祭」は、10日の夕刻7時。出雲大社の西方1kmにある稲佐の浜で御神火が焚かれ、傍らに神々の先導役となる龍蛇神が海に向かって配置され、神事が斎行されます。

2.「神在祭(かみありさい)」
神議(かみはかり)をする「神在祭(かみありさい)」。
翌日11日から17日。縁結びや来年の収穫など諸事について出雲大社の摂社「上宮(かみのみや)」にて、神議りが行われます。
この祭事の期間、神々の会議や宿泊に粗相があってはならぬというので、土地の人は歌舞を設けず楽器を張らず、第宅(ていたく)を営まず(家を建築しないこと)、ひたすら静粛を保つことを旨とするので、「御忌祭(おいみさい)」ともいわれています。

3.「縁結大祭(えんむすびたいさい)」
様々な縁結びの神議りが行われる神在祭中の日のお祭りに併せ、執り行われます。祭典では、大国主大神をはじめ全国より集われた八百万の神々に対し、世の人々の更なる幸縁結びを祈る祝詞が声高らかに奏上されます。


4.「神等去出祭(からさでさい)」
最終日の17日夕刻4時。出雲大社境内にある東西の十九社から拝殿に移動され、全国に神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」が行われます。神々の滞在を終えて、再び全国の神々がそれぞれの地域へと戻ることを示しています。さまざまな祝詞は、神々への感謝の気持ちを込め、また、神々が安全に帰ることができるようにとの願いも込められています。


 

 

 

 

一連の祭事である「神在祭」を通して、出雲市内や周辺エリアでは様々な行事やイベントが催されます。地域の文化や伝統が色濃く反映されており、訪問者は出雲の魅力を存分に体感することができる時期と言えます。

 

 


●「神在祭」に行かない神様もいる●

 
「神在月」「神無月」の言われから、全国各地の神々は、この時期、みんな出雲に出かけてしまい「神様が居ない月」のように考えてしまいますが、神様不在の留守を守ってくれる神様が存在していますので、安心してください。


・恵比寿さま・金毘羅さま・竈(かまど)神・道祖神 をはじめ、家屋に定着した家の神様たち。地域によっては、大黒様もメンバー入りするようです。
このような神様たちは、人々の暮らしに寄り添い身近な存在であり「留守神」と呼ばれ、私たちの暮らしをいつも見守ってくださいます。


 

 

 

❖七五三 -しちごさん-  


七五三は、日本に古くからある伝統行事の一つです。
地域によって違いはありますが三歳の女の子、五歳の男の子、七歳の女の子が11月15日頃に神社などにお参りをします。お参りでは、無事に成長していることを報告し、健やかに生活できていること、これからも健やかに成長していくことを感謝しお祈りします。

 




●七五三の由来・歴史●
 

七五三の由来は、平安時代に行われていた3歳の「髪置き」、5歳の「袴着」、7歳の「帯解き」の儀式にあります。
昔は「七歳になるまでは神の子」と言われるほど乳児の死亡率が高く、乳児期を無事に乗り切って成長したことへの感謝と、これからの子供の末長い健康を祈って神社にお参りに行ったのが始まりと言われています。
また、古来より、11月15日は鬼が出歩かないとされる二十七宿の鬼宿日(きしゅくにち)にあたり、婚礼以外のお祝いには吉日とされたことも、11月15日の由来とされます。
その他にも、天和元年11月15日に江戸時代の五代将軍の息子である、徳川徳松の健康を祈った儀式が行われた日とされ、子どものお祝いの日の吉日となりました。

現在では「七五三」は一つの行事だと捉えられていますが、昔は3歳の「髪置きの儀」、5歳の「袴着の儀」、7歳の「帯解きの儀」という、それぞれ別の行事があり、三つの子供の行事を合わせて「七五三」と呼んでいました。
「七歳になるまでは神の子」という言葉と共に、昔は奇数は陽数、偶数は陰数と考えられていたため、奇数歳の縁起が良い年にお祝いをするようになったと言われます。

「髪置きの儀」、「袴着の儀」、「帯解きの儀」はそれぞれどんな儀式なのでしょう?


 

 

●「七五三」の3つの儀式はどんな儀式?●
 

三歳 髪置(かみお)きの儀:男児・女児どちらもお祝いします。
 

平安時代、乳児期に髪を剃っておくと病気の予防や後に健康な髪が生えてくると言われており、三歳までは男の子も女の子も髪を剃っておくという風習がありました。
男の子は髪の毛を結うために、女の子は髪をきれいに伸ばすために三歳になる誕生日に行われた儀式が髪置(かみおき)です。
昔の儀式では、髪の毛が真っ白になるまで長生きするようにと願いを込めて頭に糸で作った白髪を乗せ、白粉をかけて櫛でといたとされます。
 


五歳 袴着(はかまぎ)の儀:男児がお祝いします。
 

五歳は、男児から少年になる節目であり、大人への第一歩として男児が初めて袴を着ける「袴着」というお祝いが始まりとされています。袴着を経て男の子は羽織袴を着用するようになっていきます。元々は平安時代の宮中のみで行われていた儀式が次第に広がり、武家や庶民の間でも行われるようになりました。
 
 

七歳:帯解き(おびとき):女の子がお祝いします。
 

女の子がお祝いする七歳には、それまで紐付きの着物を着ていた女児が、初めて大人の装いである丸帯をつける「帯解」というお祝いが始まりと言われています。帯解きを経て女の子は社会から認められ、大人の女性の第一歩を踏み出します。儀式の始まりはとても古く鎌倉時代から行われていました。

室町時代に貴族の間で始まった際には、「袴着の儀」はなく、9歳の男女が11月中の吉日に行ったと伝えられます。その後、年齢は武家では男児5歳、女児4歳でお祝いされましたが、江戸時代中期以後に男児5歳に「袴着」。女児は7歳に「帯解きの儀」として、年間行事のお祝いとなりました。


また、皇室では5歳の時に「着袴の儀」と「深曽木の儀」という儀式が行われ、子供の成長を祝います。

 

  
 
 

●行事ごとは早めの準備が大切です!●

七五三では、ご祈祷や着付け、写真撮影など予約や準備をしなければならないことが多くあります。
参加するご家族が多い場合などでは日程調整も大切になってきます。基本的に、お参りは11月15日前後で行う場合が多いですが、最近では混雑を避け、日程をずらしてお祝いすることも珍しくありません。
また、同時に記念撮影をどうするのかも考えておきましょう。9月末頃になると写真スタジオやカメラマンも予約が取れないことも多く、夏ごろから募集・受付を行うこともありますので、お子さまの大切な記念日を安心して迎えられるよう、準備には余裕を持って取り掛かりましょう。

 

最近では、七五三のお祝いの仕方が多様になり、5歳の女児、7歳の男児も、七五三としてお参りやお祝いをするご家庭もございます。記念写真はドレスやタキシードなどの洋装も人気で伝統にこだわらない自由な表現で成長を喜びます。
 
 

 
  
 
 
 
 

❖4.立冬の時期の七十二候❖

【立冬】の七十二候では下記のように表されています。

 

 

初候 第五十五候「山茶始開(つばきはじめてひらく)」 




山茶花(さざんか)の花が開き始める頃。

山茶 (つばき) とは、"椿 (つばき)" でなく、ツバキ科の「山茶花」のことを指しています。椿もよく似た花を咲かせますが、この時期に咲くのは山茶花で、椿は文字の通り、木へんに春と書き、春を迎えた頃に花を咲かせます。
また、山茶花は花びらが一枚一枚散りますが、椿は散らずに花ごとぽとりと落ちる違いがあります。
 
 


 

次候 第五十六候「地始凍 (ちはじめてこおる)」 

 

寒さで大地が凍り始める頃。
朝夜は冷え込みがいっそう厳しくなり、朝には霜が降り場所によっては霜柱が見られることも。日ごとに寒さが増し、冬の訪れをはっきり肌で感じられる季節になります。
この頃の行事には、先ほど記載した【七五三参り】があります。
女児は3歳と7歳。男児は3歳と5歳。節目の年としてお参りをします。
子どもが無事に育つことは大きな喜びであり、親として健やかな成長を願わずにはいられないお祝いの日となります。
  
 
 


末候 第五十七候「金盞香 (きんせんかさく)
 
 

水仙の花が咲き、芳しい香りを放つ頃。
水仙は上品な香りとその凛とした佇まいから、お正月の花や茶花としても人気ですが、実は強い毒性があることでも知られています。学名の「ナルキッソス」は、ギリシャ神話からの命名です。
泉に映った自分の姿に恋焦がれ、見続けていたら1本の花になってしまったという少年の名前から名。その花が水仙であり、ナルシストの語源です。
 
 
 

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立冬に入ると木枯らし一号と共に朝晩がぐっと冷え込むことで、山々の紅葉が見頃を迎える地域が増えていきます。この時期は「小春日和」が多く、この晴天と夜の寒気が繰り返されることで、紅葉が進んでいきます。

「小春日和」と聞くと、春先頃の暖かい日を想像する方も多いですが、晩秋から初冬の時期に、春のように暖かく穏やかに晴れる日を表す言葉になります。

暦の上では冬となりましたが、冬と秋の季節の変わり目になります。
暖房器具や毛布などの冬支度を始め、体調に気を付けて過ごしましょう。



 
 
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