晴れと暮らすの二十四節気
<二十四節気>
季節の節目となる二十四節気・七十二候を軸に、季節の文化や習わしをお伝えいたします。
ちょっぴり特別な日常を暮らしていけますように。
【二十四節気】
第2番 【雨水-うすい-】
二十四節気<第2番目 雨水(うすい)>降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃。厳しい寒さが和らぎ、暖かな雨が降ることで草木が芽生えます。
第23番目 【小寒(しょうかん)】
二十四節気 第23番目 【小寒(しょうかん)】 「寒の入り」更に寒さが厳しくなるころ。晩冬となる「小寒(しょうかん)」、次節気「大寒(だいかん)」の三十日間のことを「寒の内」といいます。寒が明けると【立春(りっしゅん)】。暦の上では春を迎えます。【小寒】では、引き続き、お正月の【松の内】【小正月】を過ごします。 【お正月の準備から締めくくりまで】 【小寒】では、引き続き、お正月の【松の内】【小正月】を過ごします。お正月は現在、元日から1月7日の〈松の内〉までをお正月と呼ぶのが一般的です<三が日>1月1日~3日<松の内>1月4日~7日<小正月>1月15日小正月を過ぎると【お正月】の一連の習わし・行事を終えます。【小寒】の頃の習わし・行事をご紹介いたします。 1.【寒九の水】かんくのみず 【小寒】を迎え9日を過ぎた頃を「寒九」と言い、「寒九」は一年の中で「一年でもっとも水が澄む日」と言われています。 「この日に汲んだ水は腐らない」といわれるほど、古くから「寒九の水」は薬になる、霊力があると信じられてきました。この時期に仕込んだ酒は特別なものとされ、寒の水で米を炊いてついた餅は「寒餅」と言って健康に良いとされています。また、寒の水に触れると霊力が授かるという信仰は現代にまで伝わり、習わしとして修行に打ち込む人は、この期間に水をかぶり水垢離(みずごり)をしたり、滝に打たれる荒行を行います。様々な形に変化し、毎年「小寒」から9日頃の休日には「水汲み」や「寒中水泳」など、水にまつわるイベントなど全国各地で行われます。昔から先人の知恵として「朝1杯の水から」と語り継がれてきた健康法は、今では、そんな健康法も学術的に解明されていますね。 2.【人日の節句】1月7日 人日の節句は五節句の一つで、年が明けてから初めにくるお節句です。 古来、日本には年のはじめに若菜を摘んで、自然界から新しい生命を頂く「若菜摘み」というものがありました。中国から「七草の由来」が伝わったのちに、現在の人日の七草粥が出来上がります。人日の由来は、古代中国の「荊楚歳時記」(けいそさいじき)という書物に見ることが出来ます。これによれば、一月一日を鶏の日、二日=犬、三日=羊、四日=猪、五日=牛、六日=馬、七日=人、八日=穀の日などの決まり事がありました。このことから、1月7日が「人日」と呼ばれるようになり、「人日には七種類の若菜で羹(あつもの・温かいスープのこと)を頂く」という内容の記述を見ることができ、それが「七草粥」の由来となります。春の七草は、「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」の7種。お正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を労り、冬に不足しがちなビタミンも補える理にかなったお粥です。 3.【白馬節会(あまおうのせちえ)】 1月7日に<人日の節句>が制定される前は、奈良時代より宮中において「白馬節会(あおうまのせちえ)」という節句行事が開催される日でした。 【白馬節会】とは? 宮廷年中行事。天皇に正月7日に厄災を祓うとされる〈白馬(あおうま)〉を観覧し、宴を催します。 「青馬を見ればの邪気を除く」という中国の故事により日本に伝わり、年中の邪気をさくという風習と日本の祓の思想と結びついたもの。 なぜ「白馬」を「あおうま」と読むのでしょう? はじめは、故事に書かれていたように、青に近い葦毛の馬、あるいは灰色系統の馬を引いたと思われています。《万葉集》でも、<青馬>として黒馬が登場しています。次第に<白>の色が重んじられるようになり、白馬が使用されるようになり、「あおうま」と言う読みは「白馬」として残りました。今でも京都の上賀茂神社や大阪の住吉大社などでは神事としてこの行事が残されています。 4.【小正月】1月15日 「小正月」とは、年末の準備から元旦、松の内と続いてきた正月を締めくくる一連の行事を言います。 【小正月】は、お正月事はじめ(12月13日)から準備し、お正月のあいだ飾ってきた、お飾りや依り代、羽子板などを片づける日として、旧暦の新春満月にあたる1月15日頃には、全国各地の神社で「どんど焼き」と言われるお焚火(火祭り)が行われます。 ...
第23番目 【小寒(しょうかん)】
二十四節気 第23番目 【小寒(しょうかん)】 「寒の入り」更に寒さが厳しくなるころ。晩冬となる「小寒(しょうかん)」、次節気「大寒(だいかん)」の三十日間のことを「寒の内」といいます。寒が明けると【立春(りっしゅん)】。暦の上では春を迎えます。【小寒】では、引き続き、お正月の【松の内】【小正月】を過ごします。 【お正月の準備から締めくくりまで】 【小寒】では、引き続き、お正月の【松の内】【小正月】を過ごします。お正月は現在、元日から1月7日の〈松の内〉までをお正月と呼ぶのが一般的です<三が日>1月1日~3日<松の内>1月4日~7日<小正月>1月15日小正月を過ぎると【お正月】の一連の習わし・行事を終えます。【小寒】の頃の習わし・行事をご紹介いたします。 1.【寒九の水】かんくのみず 【小寒】を迎え9日を過ぎた頃を「寒九」と言い、「寒九」は一年の中で「一年でもっとも水が澄む日」と言われています。 「この日に汲んだ水は腐らない」といわれるほど、古くから「寒九の水」は薬になる、霊力があると信じられてきました。この時期に仕込んだ酒は特別なものとされ、寒の水で米を炊いてついた餅は「寒餅」と言って健康に良いとされています。また、寒の水に触れると霊力が授かるという信仰は現代にまで伝わり、習わしとして修行に打ち込む人は、この期間に水をかぶり水垢離(みずごり)をしたり、滝に打たれる荒行を行います。様々な形に変化し、毎年「小寒」から9日頃の休日には「水汲み」や「寒中水泳」など、水にまつわるイベントなど全国各地で行われます。昔から先人の知恵として「朝1杯の水から」と語り継がれてきた健康法は、今では、そんな健康法も学術的に解明されていますね。 2.【人日の節句】1月7日 人日の節句は五節句の一つで、年が明けてから初めにくるお節句です。 古来、日本には年のはじめに若菜を摘んで、自然界から新しい生命を頂く「若菜摘み」というものがありました。中国から「七草の由来」が伝わったのちに、現在の人日の七草粥が出来上がります。人日の由来は、古代中国の「荊楚歳時記」(けいそさいじき)という書物に見ることが出来ます。これによれば、一月一日を鶏の日、二日=犬、三日=羊、四日=猪、五日=牛、六日=馬、七日=人、八日=穀の日などの決まり事がありました。このことから、1月7日が「人日」と呼ばれるようになり、「人日には七種類の若菜で羹(あつもの・温かいスープのこと)を頂く」という内容の記述を見ることができ、それが「七草粥」の由来となります。春の七草は、「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」の7種。お正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を労り、冬に不足しがちなビタミンも補える理にかなったお粥です。 3.【白馬節会(あまおうのせちえ)】 1月7日に<人日の節句>が制定される前は、奈良時代より宮中において「白馬節会(あおうまのせちえ)」という節句行事が開催される日でした。 【白馬節会】とは? 宮廷年中行事。天皇に正月7日に厄災を祓うとされる〈白馬(あおうま)〉を観覧し、宴を催します。 「青馬を見ればの邪気を除く」という中国の故事により日本に伝わり、年中の邪気をさくという風習と日本の祓の思想と結びついたもの。 なぜ「白馬」を「あおうま」と読むのでしょう? はじめは、故事に書かれていたように、青に近い葦毛の馬、あるいは灰色系統の馬を引いたと思われています。《万葉集》でも、<青馬>として黒馬が登場しています。次第に<白>の色が重んじられるようになり、白馬が使用されるようになり、「あおうま」と言う読みは「白馬」として残りました。今でも京都の上賀茂神社や大阪の住吉大社などでは神事としてこの行事が残されています。 4.【小正月】1月15日 「小正月」とは、年末の準備から元旦、松の内と続いてきた正月を締めくくる一連の行事を言います。 【小正月】は、お正月事はじめ(12月13日)から準備し、お正月のあいだ飾ってきた、お飾りや依り代、羽子板などを片づける日として、旧暦の新春満月にあたる1月15日頃には、全国各地の神社で「どんど焼き」と言われるお焚火(火祭り)が行われます。 ...
第18番【霜降】(そうこう)
季節は晩秋。秋が一段と深まり、朝霜が見られる頃。朝晩の冷え込みが厳しくなり、日が短くなったことを実感できます。
第17番【寒露-かんろ-】
二十四節気 第17番【寒露】(かんろ)草木に冷たい露が降りる頃。秋の長雨が終わり、朝晩はぐっと冷えるようになりました。五穀の収穫で農家は繁忙期となり、実りの秋の味覚が充実していきます。
第17番【寒露-かんろ-】
二十四節気 第17番【寒露】(かんろ)草木に冷たい露が降りる頃。秋の長雨が終わり、朝晩はぐっと冷えるようになりました。五穀の収穫で農家は繁忙期となり、実りの秋の味覚が充実していきます。