本日、12月13日は【お正月事始め】として、年末行事の習わしとなります。
【 お正月事始め とは?】
お正月を迎える準備を始める日。
昔から、この日は「鬼宿日(きしゅくにち)」と言われ、物事をはじめるのに最適な日と言われ、新しいことを始めたり、新年の迎える準備には絶好のタイミングとされていました。
日本では、この日から、門松やお雑煮を炊くための竹や薪など、お正月に必要な材料を山へ取りに行ったり、〈すす払い〉と言われる大掃除をしたり、お正月の料理の食材をそろえたりし始める時期として暮らしていました。
なぜ、お正月の準備するの?
旧年が無事に終わったことと新年を祝う行事という、ハレの日のための準備というイメージがありますが、お正月の準備をしておくのは、1年の始まりである【お正月】の三が日に歳神様を迎えることが始まりです。
【歳神様とは?】
その家のその年1年を守り統べる神様。
地域によって、歳徳神、とんどさん、恵方神、お正月様、さまざまな名前で呼ばれる神様です。
自然と共にある日本の生活
自然への信仰深い古来日本では「年」は稲の実りのことで、穀物神であると考えられていました。信仰の根底にあるのは穀物の死と再生であり、農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作を祈念するようになります。昔の日本人にとって、自然との生活は豊かさと共に厳しくもあり、暮らしの全ては自然と共に生きる存在でした。そして、正月というは年神を祀る行事となって、やがて祖先の霊が田の神や山の神になり、正月には年神となって、子孫の繁栄を見守ってくれるのだと考えていました。
昔から日本では「お正月の三が日の間は家の中にいて過ごす」という過ごし方は、年神様を迎えるための習慣が残っているのです。
【お正月を迎える準備】の習わし
【煤払いーすすはらいー】
1年の汚れを払い、清めることを「煤払い」と言います。これが今で言う「大掃除」にあたります。
1年間でついた汚れを払い、隅から隅まできれいにすると、年神様がたくさんのご利益を持って降りてくるといわれていました。
昔は、薪や炭が暮らしの火種であったため、天井や壁まで多くの煤がついてしまい、その煤の汚れを落としきる頃には、隅々まで手が行き届き、部屋の中は明るくきれいになります。
そんな煤払いも賑やかな暮らしの行事のひとつだったようです。
【松迎えーまつむかえー】
門松にする松やお正月料理のための薪などを、採りに行きます。これを「松迎え」といいます。
〈門松ーかどまつー〉
ことわざ「松は千歳を契り、竹は万歳を契る」(意味:松と竹で神の依代の永遠を願う)
と言われるように、松は冬でも青々とした常緑高木で、木の梢に神が宿ると考えられていたことから、門松は年神様を家に迎え入れるための依り代としてお飾りされます。
〈しめ縄飾り〉
お迎えするのに相応しい神聖な場所であると年神様に示すために飾ります
神社で、神木などにしめ縄が張られている光景をよく目にするかもしれません。しめ縄には、魔よけの意味があり、神社などでは神域と俗世を区別する境界線として用いられています。お正月のしめ縄にも「なわばり」「結界を張る」といった意味があり、煤払いしてきれいになった家に邪気が入らないようにお飾りします。
【おせち料理】
元々は年神様のお供えのために作るおせち料理。お供えをしたおせちを家族そろって食べることで、一年の幸せと健康を祈ります。
〈おせち〉の言われには、火の神様をお休みさせるためというものがあります。
元旦に煮炊きをすると、家々に幸せを運んできてくれる年神さまを洗い流してしまうと考えられていることから、料理をせずに過ごせるよう、日持ちするおせち料理を作っておくという言い伝えや、包丁を使うことは「縁を切る」につながることから縁起がよくないと言われていました。
【鏡餅】
鏡餅という名前は、昔の鏡の形に似ていることから、その名がつきました。鏡には神様が宿るものとされ、そこから鏡餅は年神様のお供えとして飾るようになりました。丸い形は家庭円満、重ねた姿は一年をめでたく重ねるという意味が込められています。
〈鏡開き〉
毎年1月11日【松の内】には(歳神様が家に滞在する期間)お供えした鏡餅を、食べる習わしを「鏡開き」と言います。
〈松の内〉(1月7日)を過ぎて、年神様を見送り、自然の恵み(歳神様は豊作の神)からできた鏡餅を食べ、その霊力を分けていただいて、1年の無病息災を願います。その行いは「固いものを食べ、歯を丈夫にして、長寿を祈る」とい歯固めと言われる呼ばれる行事に繋がります。
固く乾燥した鏡餅は刃物で切ることは切腹を連想させて縁起が悪いとされ、木槌(きづち)で細かく割ります。年神様の依り代であったお餅ですから、丁寧に扱いましょう。
【羽子板・破魔弓】
お正月飾りである羽子板や破魔弓もこの時期に飾ります。