端午の節句

「端午の節句」は「男の子」に向けたお祝いの日。 

鯉のぼりや五月人形を飾るのは、生まれてきたお子さまが「人生の幸福が得られるように」「災いが降りかからないように」という願いや、無事に成長し、強く逞しく生きられるようにと、思いを込めて贈ります。

その思いが今日まで続く、お節句文化となりました。

初節句とは?

 

初節句の祝いは、一生に一度のはじめてのお節句のことを言います。
「お宮参り」や「お食い初め」と同じく伝統的な行事・儀式です。ご家族でお祝い膳を囲み、生まれてきてくれたことへの感謝と、これからの健やかな成長への思いを込めてお祝いをします。

 
産まれてから一年の間は特に、生命の尊さを身近に感じることが多くありますよね。赤ちゃんの重みをしっかりと感じながら、ご家族のみなさまで守っていくこと、これからすくすくと育っていくことを祈り、産まれてきてくれたことに感謝を込められるよう、温かな初節句にしましょう。

 

 

生まれて間もない3月・4月生まれの男の子は、生まれてすぐに端午の節句を迎えることになります。そうした場合、お祝行事が立て続けに行われるため、生まれて間もない赤ちゃんとお母さんの負担になることもあります。他のお祝い行事と違い、初節句は生後何日にお祝いするという目安はありません。生まれて一番最初の儀式となる「お宮参り」が済んでいるかどうかを基準に、「初節句」をいつにするか考えると良いでしょう。
お宮参りより先に初節句が来てしまう場合は1歳になってから、初節句のお祝いするお子さまも多くいます。
地域によっても旧暦でお祝いするなど、文化やお祝いの仕方も違いますので、ご家族と相談すると良いでしょう。


◆端午と節句◆ 

 
五節句の一つでもある「端午の節句」。節句は季節の変わり目に存在し、縁起の良い数字が重なることで不吉な日・邪気が近づきやすいとされ、昔から神様に無病息災を祈念してお供えをする習わしがありました。

「端午」は、月初めの「午(うま)の日」という意味ですが、「午」と「五」の読み方が同じため、5月5日を端午の節句とし、奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着しています。
江戸時代に入り、勢力の中心が貴族から武家に移るとともに、「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになります。当時の将軍家では、男の子が誕生すると「馬印」や「のぼり」で祝う風習がありました。この風習が武士や庶民にも受け継がれ、「こいのぼり」や「5月人形」「兜」を飾る風習へと変化していきます。家の後継ぎとして生れた男の子が無事成長していくことを祈り、一族の繁栄を願う重要な行事となり、現代まで男の子の誕生と成長を祝う日として伝わりました。

 

◆端午の節句と子どもの日◆

1948年に5月5日が「こどもの日」として制定さたことで、男女問わず子ども達の幸福を願い、母にも感謝しようという意味を込めた国民の祝日になりました。「端午の節句」と「こどもの日」のいわれは違いますが、古くからの願いや伝統を享受しながら、これからの成長と幸せを願うお祝いの日となります。

端午のお祝いには、「外飾り」の鯉のぼりや幟旗と、「内飾り」の五月人形や兜飾りがあり、それぞれ飾る意味が異なりますので分けてご紹介します。

 

 ◆五月人形を飾る◆
1.なぜ五月人形を飾るの?
2.端午の季節の景色

◆鯉のぼりを飾る◆
3.なぜ鯉のぼりを飾るの?
4.鯉のぼりの歴史と文化

1.なぜ五月人形を飾るの?


五月飾りの兜飾り・鎧飾り・武者人形(子供大将飾り)のことを指します。

五月飾りは、【病気や事故などの災厄を逃れ、力強く成長してほしい】と願いを込めて、お子さまの身を守るための【お守り】として飾られます。

兜や甲冑、弓などは戦闘の用具と捉えることもありますが、武将にとって兜や甲冑は、身を護る大事な装備。五月人形の兜や甲冑には「わが子を守ってくれますように」という願いが込められているのです。
節句の時期は、季節の変わり目には邪気が寄りやすい(体調を崩しやすい)ことから、昔から、お供えものをして厄払いをし、無病息災を願う風習がありました。
  

 

2.端午の季節の景色

現在の5月はさわやかな初夏ですが、旧暦5月は現在の6月にあたります。

つまり旧暦5月の中旬以降は、梅雨の時期となります。「端午」は、旧暦5月の最初の午(うま)の日を意味します。鎌倉時代になると、武家では梅雨を目前に武具へ風を通し・虫干しと手入れをするために「鎧」や「兜」を蔵から出して、家に飾る習慣がありました。

 
そんな端午の季節の景色が「鯉のぼり」と共に、兜や弓が飾られるようになった由来となります。

◆3.なぜ鯉のぼりを飾るの?◆

 

端午の節句の外飾りには、鯉のぼりの他に幟旗も古くから親しまれています。

 鯉のぼりには、大空を悠々と泳ぐ鯉のぼりのように元気に育ってほしいという『健やかな成長と立身出世を願う』思いが込められています。

 

◆4.鯉のぼりの歴史と文化◆


もともと日本では、将軍に男の子が生まれると旗指物(家紋のついた旗)や幟(のぼり)を立てて祝う風習がありました。やがて武家に広がり、男の子が生まれた印として幟を揚げるようになり、【端午の節句】には幟と、虫干しを兼ねて、鎧や兜を飾るのが習わしとなります。

江戸の裕福な商家では、そんな武家を模して、武具の模造品を飾るようになり、それが町人の間に広がった時、「立身出世※」のシンボルであった「鯉」を幟にするアイデアがうまれ【鯉のぼり】となりました。

(※「立身出世」とは?
中国の「登竜門」、日本では「鯉の滝登り」として有名な伝説に由来しています。
(中国の黄河上流に竜門という激流が連なる滝があり、そこを登り切った魚は霊力が宿って龍になるといわれていました。その滝を登るほどの勢いのある淡水魚は鯉をおいて他になく、ある時一匹の鯉が激しい滝水に逆らいながら竜門を登りきったところ、鯉は龍へと変身して天に昇っていったという伝お話です。中国では龍は皇帝の象徴でもあり、とても縁起のいいものです。)

本来、鯉は沼や池といった清流以外の場所でも生きられる丈夫な魚でもあります。そのような鯉の性質から、

【人生という流れの中で、難関を鯉のように突破してほしい。逆境でも頑張り抜ける強い人に成長してほしい。】


という願いも込められていました。
(そう言われる通り、実際に鯉のぼりは逆風こそ力強く泳ぐので、近年では復興のシンボルとしても使用されることも多くあります。)

時代が変わり続ける中で、本来の意味合いを、より一層強くしているように思う近年。変わりゆく時代の中でも、親の思いは変わりません。